近大福岡、城嶋優太君の将来の夢が意外過ぎる?!父親は【元ホークス】城嶋健司氏!!

 

元ホークス城嶋健司氏に息子がいることは知っていますか?その息子の優太君が近大福岡に通っていることがわかっています。

その優太君の将来の夢が偉大すぎると話題に。

今回はその城嶋優太君についてしらべてみました。

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城嶋優太君について

 

2001年、平成13年の8月22日に福岡県飯塚市で生まれ野球は父の勧めで小学校4年生のころから始めました。

飯塚第一中学校へ通い近大福岡へ進学。

野球を始めてすぐの小学校4年生と中学3年の時に福岡県大会へ出場しました。

小学校5年生で父同様に一時本格的に捕手に挑戦したそうですが「ほかのポジションより考えることが多くて難しい。」とすぐに断念。

それでも打撃面では父との「二人三脚」で歩んできました。

 

父親直伝のアッパースイング

 

高校入学時は試合後に投手との間合いの取り方や状況に応じた打ち方などを父との「反省会」で習得したそうです。

自宅では父直々に打撃を見てもらい「アッパースイングで長打を打つことをきつく言われてきた」とアッパースイングを得意とするフルスイングを身に着けた。

アッパースイングとは簡単に説明すると「当たればよく飛ぶ」という打ち方で、下からすくい上げるようにバットを振る豪快なスイングです。

城嶋優太君は試合の前は父の現役時代の動画で打撃フォームを確認するのがルーティーンだそうです。

 

父親は元ホークスの城嶋健司氏

 

城嶋健司氏は1976年6月8月に長崎の佐世保で生れ、4歳の頃に読売ジャイアンツ(巨人)の王貞治氏が引退試合で挨拶しているビデオを見てプロ野球選手に憧れを持つようになりました。

優太君と同じで小学校4年生の時に少年野球のチームに入って捕手を務めました。

 

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中学3年生の時にプロOBによる野球教室で王に褒められ、冗談半分で巨人入りを勧められたことで巨人へ入団したい気持ちが強くなったそうです。

別府大学付属高等学校へ進学し強肩を見込まれそこでも捕手に指名され、その時から

「自分は捕手をやるために生まれてきた。それが宿命。」と考えるようになり今まで例を見ない「打って守って走れる捕手」を目指す決意を固めました。

高校では1年の時から4番を打ち高校通算70本塁打という偉業を記録しましたが甲子園への出場は果たせないまま高校野球の幕を閉じました。

その後は巨人入りを見据え東都大学リーグで力をつけようと決めた所、いち早く獲得に動いた駒沢大学への推薦入学が決まりました。

しかしプロ入り拒否を表明したためスカウト陣が訪問した時には既に会えないようになっていました。

ですがこの表明以前にはプロ入りを希望していた事や巨人、西武ライオンズ、福岡ダイエーホークスの3球団を城嶋健司氏が志望してはいたものの逆指名ができない高校生であることから本心は進学ではなくプロ入りだと読んだ当時ダイエー所属の根本陸夫らは1994年度ドラフト会議の前日に城嶋健司氏を1位で強行指名を宣言しました。

強行指名との事で様々な所から警告を受けましたがダイエーは宣言通り1位での指名を強行しました。

 


城嶋健司氏も憧れであった王貞治がダイエーの時期監督に内定していることを知り、王貞治から直接要請されたことでダイエー入りを決めたそうです。

しかしこの件をきっかけに「プロ入り拒否の選手はドラフト会議で指名できない」というルールが設けられました。

 

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卒業後は調理師の道を

 

野球で有名な父を持ち自らも野球の道を歩んでいた城嶋優太君ですが、卒業後の進路はなんと調理師の道を目指しているそうです。

本人曰く「野球は身近にある環境だったので始めた」そうで、本人曰く「野球は高校で一区切りつけて卒業後は料理の道に進みたい」と話し、父とよく趣味の釣りに行くそうでその影響もあってか調理師を目指すそうです。

 


まとめ☆

優太君がまさかの野球の道ではなく調理師を目指すとの事で、野球界は騒然としていそうですがプロ入り拒否選手はドラフト指名できないためプロ入り拒否を宣言された場合は暖かく見守るしかなさそうです。

 

 

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