中田久美の現役時代は美人!天才セッターが『てめーら、コノヤロー!』

全日本女子バレーボールの監督、中田久美監督。

中田久美さんといえば全日本女子を黙らせた「てめーら、コノヤロー!」という言葉。

この「てめーら、コノヤロー!」という言葉はどんな場面で使われていたのでしょう?

中田久美さんのプロフィールとともに彼女が使ったといわれている「てめーら、コノヤロー!」について調査してみました!

天才セッターと呼ばれていた中田久美さんは現役時代どんな選手だったのかについてもまとめています!

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全日本女子監督の中田久美のプロフィール

まずは中田久美さんのプロフィールからご紹介します。

中田久美のプロフィール
名前:中田久美(なかた くみ)

生年月日:1965年5月3日

出身地:東京都

中田久美さんは中学3年生でバレーボール全日本に選出されました。

今でなら中学生で活躍している選手はたくさんいますが、30年以上前ですとかなり話題に上がっていたことでしょうね。

当時は天才セッターとも呼ばれており、1984年、1988年、1992年のオリンピックに出場した経験もあります!

中学3年生で天才セッターとしてバレーボールの世界で活躍していましたが、28歳の時に引退されました。

引退後はモデルとして活躍。

慎重も176㎝もあり、バレーをやっていたおかげでかなりスレンダーな体系だったようですね。

中田久美が全日本女子を黙らせた「てめーら、コノヤロー!」

現役時代は天才セッターとして大活躍していた中田久美さんですが、現在は日本女子バレーの監督を務めています。

そんな中田久美さんですが、選手からは鬼コーチとして怖がられているんです。

怖がられている理由は中田久美さんがよく言っている「てめーら、コノヤロー!」という言葉です。

一見とても怖い言葉ですよね。

この「てめーら、コノヤロー!」という言葉はどんな場面で使われているのでしょうか?

実はこの「てめーら、コノヤロー!」というのはそんなに頻繁に使われているわけではなく、一躍この言葉が世間に広まってしまった背景には選手たちの行動にもあったようです。

2004年、アテネオリンピックへの出場権を取得した日本女子バレーチームにテレビ取材が行われました。

選手の中には初めてオリンピックに出場する選手もいたことでしょう。

彼女たちは始終大はしゃぎで、行き過ぎた浮かれ具合に徐々に中田久美さんの表情は変わっていったそうです。

そして、ついに中田久美さんは興奮が冷めない選手たちに向かってキレてしまったんです!

オリンピックに現役時代3回も出場し、メダル獲得が当たり前だといわれていた時代を生き延びてきた中田久美さんのとって、目の前でオリンピック選手に選ばれたぐらいではしゃいでる選手たちの姿はあまりよくは映らなかったそうなんです。

最初は見守っていた中田久美さんも日本女子バレーがオリンピック出場が決まったというVTRが流れた瞬間、興奮は絶頂を迎えました。

その瞬間、生放送であったにも関わらず、中田久美さんはマイクのスイッチが入っているのも忘れ「てめーら、コノヤロー!」とどなりつけてしまったんです!

スタジオは静まり返り、共演者たちも慌てる始末。

これは完全なる放送事故ですね。

実際の「てめーら、コノヤロー!」と怒鳴っている動画もありましたので、気になる方は是非ご覧ください。

*映像が古いので綺麗な画質ではありませんので、ご了承ください。

ジャンクスポーツで面白おかしく解説してくれているのですが、実際の中田久美さんはとても厳しい監督であることが伝わってきますよね・・・

この一件から中田久美さんの「てめーら、コノヤロー!」という言葉が浸透していったそうです。

現役時代、相手選手にガンをつけているといわれるほど、バレーへの熱量が当時からすごい中田久美さん。

テレビ取材で大はしゃぎする選手たちを目の前にしていろいろと我慢できなかったのかもしれませんね。

オリンピック経験者で天才セッターといわれ、今や日本女子バレーの監督ですので、そのプレッシャーはすさまじいものだったのかもしれません。

このテレビ後、中田久美さんは、めったに「てめーら、コノヤロー!」という言葉は言わなくなったそうです。

それでも現在でも選手から怖いといわれているそうで、言わなくてもその迫力が伝わってくるんでしょうね。

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現役時代は天才セッターとして大活躍

中田久美さんは現役時代はどんな選手だったのでしょうか?

15歳という中学3年生で全日本バレーボールに入ります。

しかし中田久美さんがバレーを始めたのは中学1年生だったんです!

バレーを始めてわずか2年足らずで才能が開花、全日本バレーに選出されるまでになったんです!

ポジションはセッターだったそうで、最初からセッターポジションだったかはわかりません。

高校はバレーボールに専念するために通信制の高校を選ばれます。

そのあとポジションを監督に言われてセッターに変更しました。

中学卒業後は社会人チーム「日立ベルフィーユ」に入団。

めきめきと頭角を現していったそうです。

監督にポジションを変更を言われなかったら天才セッターとは呼ばれなかったかもしれませんね。

監督のおかげで天才セッターと呼ばれたんですね。

18歳の時に初めて参加したロサンゼルスオリンピックでは日本代表としてスタメンセッターに選ばれました。

このロサンゼルスでは銅メダルを獲得。

しかし日本はこのあと28年間、2012年までメダル獲得はなかったんです。

28年ぶりのロンドンオリンピックでメダルを獲得したのです。

現役時代から闘志むき出しで、試合中に相手選手から「ガンをつけられている」といわれるほど、試合中もやる気満々だったんです!

現役時代の1986年からひざの状態に悩まされましたが、そのあとの1988年、1992年のオリンピックに出場。

3回連続のオリンピック出場を果たされました!

オリンピックでの成績はロスが銅メダル、1988年のソウルは4位、1992年のバルセロナは5位という結果に終わりました。

中田久美さんが入団していた日立は製薬会社で、バレーボールがかなり強かったそうですが、ソウルオリンピックでメダルが取れなかったことに中田久美さんは思わず泣いてしまったそうなんです!

今では考えられないですよね。

そのあと中田久美さんは個人でもいろいろと国内リーグや賞を受賞したそうです。

現役時代について気になった方は詳しく調べてみてください!

まとめ

中田久美さんについていかがでしたか?

現役から引退してもなお、バレーボールに携わっています。

中学1年生から始めたバレーがこんなに長く続くなんて本人も思っていなかったかもしれません。

天才セッターと呼ばれた中田久美さんは現在では日本女子バレーの監督を務め、選手たちから恐れられています。

けど、単に怖いだけではなく、彼女たちをオリンピックや世界の試合で勝たせるためにあえてきつい指導をしているのかもしれませんね。

当時、自分が受けていたスポ根根性では今は通用しないと本人が一番わかっているようですし。

2020年の東京オリンピックにもぜひ出場してほしいですね!

また選手たちがテレビで大はしゃぎして中田久美さんの「てめーら、コノヤロー!」という事態にならないといいですが。

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