通称『天下取りの刀』義元左文字(宗三左文字)と共に生涯を閉じた織田信長の謎に迫る!

7/29(月)夜10時~放送されていた新説!所JAPANで通称『天下取りの刀』と言われております、義元左文字(宗三左文字)について特集が組まれておりましたので気になったので、義元左文字という刀について調べていきたいと思います。

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義元左文字はなぜ天下取りの刀なのか?

義元左文字という刀は代々天下人が所有していた刀として歴史上では語られてきました。

天下人と言えば、真っ先に思いつくのが織田信長という人物です。

義元左文字は元々は織田信長が所有していた刀ではなかったそうなのですが、ある人物に勝利することによって信長が義元左文字を愛刀として腰に据えていたとされています。

ある人物に勝利することで織田信長は天下人と呼ばれるようになり、義元左文字という刀自体も『天下取りの刀』と言われるようになりました。

ある人物とは?

織田信長が天下人として呼ばれるようになった大きな戦いとして、1560年に『桶狭間の戦い』と呼ばれる戦で、武将である『今川義元』を打ち取った際に、信長の手に渡ったと言われております。

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『本能寺の変』によって一部消失している義元左文字

桶狭間の戦いによって天下人と呼ばれるようになった織田信長ですが、『本能寺の変』によって家臣の明智光秀に急襲され、自害した、というのは歴史の授業にも出てくるほど有名な出来事です。

この『本能寺の変』の時に信長の愛刀である、義元左文字も火事に見舞われてしまい柄の部分が消失されており、本能寺の変での実際の織田信長と最後がいかに壮絶だったのか、というのも、義元左文字の姿を見れば想像できるのではないのでしょうか?

柄の部分には

永禄三年五月十九日 義元討捕刻彼所持刀 織田尾張守信長

という文字が彫られているのですが、こちらは信長の家臣である、豊臣秀吉が信長の死後、彫刻したとされております。

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織田信長の遺骨は清玉上人が阿弥陀寺に?

織田信長の生涯をとじたとされる本能寺の変では織田信長の遺体が見つかっていないというのも、歴史上の大きな謎であるそうです。

新説!所JAPANでは織田信長の遺骨を巡って織田信長の幻の弟と言われている、清玉上人が阿弥陀寺にて織田信長の遺骨を匿ったとされていました。

幻の弟『清玉上人』とは?

実はこの清玉上人、織田信長の幼いころから血のつながりはなかったものの、織田家の一員として大切に織田信長と共に育てられたそうです。

清玉上人は19歳の時に、阿弥陀寺を創設して住職となりました。

その後、清玉上人は織田家に大変な恩義を感じていたことから、本能寺の変で自害したとされる織田信長の遺体を明智光秀に気付かれないように自身の阿弥陀寺まで運んでいたようです。

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最後に

新説!所JAPANの放送直後には、『天下人の刀』と言われております、『義元左文字』がSNS上でも大きな話題になっていたことより、織田信長という武将の生き様、義元左文字の逸話が大きく知れ渡る良い機会だったのではないのでしょうか?

義元左文字は今は建勲(たけいさお)神社に祀られているようですので、今回の放送を機に義元左文字という歴史に大きく関与したとされる刀を一度見てみたいですね。

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